ある双子の兄妹がいました。ふたりが生まれたとき、この世に生きている者は彼らしかいませんでした。そのため、ふたりは兄妹でありながら、夫婦となりました。
 ふたりはいついかなる時も、一緒にいましたが、ある日、兄のほうが先に亡くなってしまいました。残された妹は、動かなくなった兄の側で泣いてばかりいました。そのころ、世界はいつも明るかったので、時間の流れはとても曖昧でした。だから妹は、兄が死んだことをいつまでもいつまでも、忘れられずにいたのです。
 彼女がいつまでもいつまでも悲しんでいるので、その姿を見かねたお日様は、お星様やお月様と相談して、決まった時間になったら辺りを暗くするようにしました。こうして、世界に「夜」がうまれました。
 そして、いくつもの昼と夜を過ごすことによって、妹は兄が死んだときのことをむかしの出来事だと思うようになりました。

 これは、その妹が、天寿を全うしたあとのお話です。

 死んだ者はまず、死者の国の王様の前に呼ばれます。そして、生前の行いに応じて、その魂の行き先が決まるのです。ふつうは、善い行いを重ねた者は天界という神様たちの世界へ行き、そうでない者は死者の国に留まるか、べつの生者として生まれ変わるとされています。
 ひとりの女性が、王様の前へと呼ばれました。王様は彼女にこう告げました。
「あなたは、多くの者から愛され、天寿を全うすることが出来た。だからあなたは、天界へ行くことができます」
 その女性は、深々と頭を下げて、王様の裁きを受け入れました。
「ありがとうございます、慈悲深き王様。わたしは、なんと幸せなのでしょう」
王様はほほえむと、ただし、と付け加えました。
「天界に行くまでは、長い長い道を歩かなくてはなりません。その道すがら、あなたを呼んだり、引き留めようとする者があらわれるでしょう。
 しかしあなたが天界に行くためには、それらをすべて振り払わなくてなりません。振り向いたり、返事をしたりしたら、そこで道は閉ざされるでしょう」
 そういうと王様は、彼女についてくるように言いました。彼女はじっと黙って、王様の背中を見つめながら、かれの後を歩きました。ほどなくして、一本の細い道の前へと案内されました。
 「この道をまっすぐにお行きなさい。今の貴方なら、迷うことは無いでしょう。
 ただし、前にも言ったとおり、いかなる声に呼ばれようとも、絶対に振り向いたり、返事をしたりしてはいけません」
 王様はそういうと、彼女に道を譲りました。彼女は、優しい王様へ、感謝の言葉と別れの挨拶を告げようとしましたが、口を開こうとする前に、王様はこう言いました。
 「試練はもう始まっています。さあ、行きなさい」
 彼女は最初、歩き出すことをためらいました。歩き出したら、王様と二度と会えなくなってしまうような気がしたからです。王様とはほんの少しの時間しか過ごしていない筈なのに、どうしてこんなに名残惜しいのかは、今の彼女にはよくわかりませんでした。
「早く、行きなさい!さもないと…」
 王様は、すこし声を荒くして言いました。彼女は、はじかれたように細い道へと足を踏み出しました。言葉の続きは、彼女には聞こえませんでした。
 王様は、細い道を行く後ろ姿を、寂しそうにほほえみながら、見送りました。

 彼女が歩く道は、長く平らな一本道でした。薄明かりに照らされた道の両脇は霞がかっており、霞の奥の方からは、様々なひとの声が、どこからともなく響いてきました。
 はじめは、それらの声は、助けを求める声や、泣き叫ぶ声でした。時にはどこからともなく手が伸びてきて、引き留めるように彼女の手や足にすがりつく事もありました。こころ優しい彼女は、それらの声の主を助けたい気持ちにかられましたが、王様から告げられたことを思い出し、振り向くことなく歩みを進めました。
 やがてそれらの声は、彼女を非難する声に変わりました。見捨てられたことへの恨み辛みや、彼女を罵倒する声があたりに響きました。薄明かりの中から、何かを投げつけられる事もありました。それでも彼女は王様の言葉を思い出し、それらに構わないようにと、まっすぐ前を見て歩みを進めました。
 そうしてまっすぐに歩き続けると、道の遙か彼方に、小さな小さな、しかしはっきりとした光が見えました。天界の入り口が、少しずつ近づいてきたのです。もう少しだ、と彼女が思った矢先、再びどこからともなく声が聞こえてきました。それは、生前彼女を慕っていたひとびとの声でした。彼女の胸の中に懐かしさがこみあげ、あやうく振り向きそうになりました。しかし、王様の言葉を胸に刻みつけた彼女は、再び歩みを進めました。
 そしていよいよ、天界の入り口まであと数歩、という所までたどり着きました。彼女は、長らく歩き続けたためにすっかり重くなった足を、ひとつひとつ踏みしめるように前に進んでいきました。
 その時、再び声が聞こえました。どこからともなく響くのではなく、彼女の後ろから、誰かが叫んでいるのがはっきり聞こえました。
 「駄目だ、行かないでくれ」
 それは、王様の声でした。彼女は最初、これも振り向かせるための罠なのだろうと思い、そのまま進もうとしました。すると、声の主は、後ろから彼女を抱きすくめました。彼女は思わず、歩みを止めてしまいました。
 「お願いだ、行かないでくれ。俺を置いていかないでくれよ…」
 それは確かに王様の声でしたが、最初に会ったときの荘厳な響きはなく、どこまでも弱々しく、そして哀しげな声でした。その腕の中は、とても暖かく、懐かしい感じがしました。
 彼女はおそるおそる、抱きすくめる腕に自らの手を重ね合わせました。その手に触れたとき、彼女は、はじめて会ったはずの王様に対して感じたいとおしさの正体に気付いたのです。
 彼女は振り向いて、声の、そして腕の主を見つめました。かれは、彼女とよく似た顔をくしゃくしゃにして、それでいて静かに、涙を流していました。
 「俺を、ひとりにしないでくれよ…」
 かれは力なくそう呟くと、彼女を抱きすくめる腕により一層力を込めました。彼女は、その腕を振り払うことも忘れて、その声に答えました。
 「どうして…どうして今更、そんなことを言うの…」
 かれはそれには答えず、ただ、静かに涙を流し続けました。
 「どうしてよ…ねぇ、答えてよ…兄様…」
 そうたずねる彼女もまた、涙を流していました。どうして涙が溢れるのかは、彼女自身もよく解りませんでした。
 辺りは、じょじょに暗くなっていきました。天界への入り口は、いつの間にか閉ざされていました。ふたりはそのままもつれ合うように、暗闇の中へと飲み込まれてゆきました。

 これで、このお話はおしまいです。
 このあと、死者の国では様々な出来事がおこりますが、それはまた、べつのお話です。  

 ふたりはいまでも、そしてこれからも、死者の国にいます。